エンデュランス振り返り

大会エンデュランスで後半を担当させていただいた、B4の大川です。大会から1週間が経ちました。帰校した翌日から内定者研修に追われ続けていたのも終わり、やっと一息つくことができたので、ここで今年度大会のエンデュランスを振り返っていきたいと思います。とてつもない長文になってしまったことを先にお詫び申し上げます。

まずは出走順を決める伊藤のオートクロス。外から見ていると、試走会の時ほどのキレはないなと思いましたが、それでも一発目から好タイムが出ていました。期待が高まった二発目、完璧に決めてくれました。本人なりには不満があるとは思いますが、まわりから期待され続けたあの環境の中、良く決め切ってくれたと思います。結果としてICVクラス4位となり、最終日午後の走行枠を獲得しました。

走行前日の夜。期待してはいたけど、そこまでとは聞いてないよ。そんな風に思いながらホテルで過ごしていました。まさか自分なんかが大阪大学と並走してしまうなんて。伊藤が二人いればな、なんて思ったりもしていました。そんな弱気なメンタルが良くなかったのでしょうか、初日から続いていた咳が止まらなくなりました。文字通りに止まらなくなり、何度もトイレに駆け込んで吐きかけていました。最後に時計を見た時は2:30でした。22:00頃には横になっていたので、4時間近く咳き込み続けていたわけですね。自分でもこれはもう無理なんじゃないか、と諦めかけた時、やっと咳が治まり寝ることができました。あのとき相部屋だった黒澤には大変迷惑をおかけしました。

当日朝、起床。天気予報を見て、嫌な予感はしていました。ただ、まあ大丈夫だろうと、楽観的な気持ちで会場に向かいました。当日の午前中はなるべく会話を避け、一人で心を静めつつ、エアロの最終点検をしていました。今年は擦っていないなだとか、リアウィング吹き飛ばないでくれよ、とか。そんなこんなで直前。もう走行中に雨が降るのはほぼ確実でした。それでもメンタル管理が上手くできていたのか、比較的落ち着いていたと思います。伊藤が一人目の走行となりましたが、見ていてとても気持ちの良い走りでした。早く乗せてくれよ、そう思いながら見守っていました。

そして問題なく10周を終え、ドライバ―チェンジが始まりました。ベルトを締め終わった時、雨が降り出しました。無線で雨を愚痴ったのを覚えています。そして1周目の3コーナー。速攻でスピン。周りから見ているメンバー、特に上級生とドライバー陣は、またかよ、と思ったでしょう。ただ、自分では状況を理解できていませんでした。ブレーキを踏んだ瞬間、車が吹き飛んでいきました。今までで初めて経験した感覚でした。思えば、自分で思っていたよりも路面が濡れ始めていたのでしょう。もっと慎重に入るべきでした。またやってしまったと、自分で自分が嫌になりました。しかし、地獄はそこからでした。その後の2周は慎重に走行しましたが、3周目あたりから異変を感じ始めました。これ、前が見えないな、と。さすがに雨量がおかしいのではないかと。見えないとは誇張でもなんでもなく、文字通り見えなくて、パイロン3個しか見えていない状況でした。そこからは記憶と感覚を頼りに走っていました。一応補足をしておくと、曇っていたわけではなく、ただバイザーに当たる雨量が多く前が見えなくなっていました。コース真ん中を走ると迷子になるので、常に片側のパイロンに寄せてガイドにしながら走りました。車は少しの入力で吹っ飛びそうになります。極限まで気を使いながら走りました。それでも奥の段差でスピンをしてしまいましたが、それどころではありませんでした。正直、赤旗出せよと思いながら、なんとか走っていました。走っていた、というより、転がしていた、という表現の方が正しいかもしれません。あまりの視界不良でポストすら見えず、もう棄権しようかな、と思ったそのとき。「チェッカー」という無線が聞こえました。あの時の横溝の声が、救世主でした。旗なんて見えていなかったので。半分感覚でドライバーチェンジエリアに入りました。コースウォークのありがたみを感じた瞬間でもありました。そしてメンバーから状況を聞かされ、タイヤ交換という形になりました。

仕切り直しとなった後半6周。相変わらずフラッグが見えるか怪しい程度の視界不良ではありましたが、レインタイヤを履いたことで車の挙動は良くなりました。レインタイヤでも速さの片鱗を感じ、天気をうらみました。なんで最後の走行がこんな天気なんだ、晴れならもっとやれたのに、など。そこからは終始後ろの大阪大学のペースを気にする展開でした。雨になった瞬間、抜かれるのは時間の問題だとわかっていました。ドライバ―のレベルが違うので。毎周、自身と大阪大学のタイムを確認していました。そうこうしているうちにあっという間に後半が終了し、また無線の助けもあり完走&帰還することができました。

走り終えた後。本当は帰ってこられて嬉しいはずでしたが、申し訳なさでいっぱいでした。1周目の余計なスピン。雨でのペースの無さ。やっぱり伊藤が二人いれば、もっと上位に行けたのにな、等々。昨年から、もっと言えば伊藤が入ってきたその日から、ずっと感じていたドライバ―のレベルの違いが浮き彫りになりました。よくやったよ、と言われても賞賛とは程遠い励ましの言葉にしか聞こえず、自分で自分が嫌になりました。その後は雷が鳴っていることもあり、足早に退散しました。ピットに戻ってからも、晴れだったら京都工芸繊維大学を喰えただとか、そういう話を聞くたびに落ち込んでいました。完走したはずなのに、去年と同じ申し訳なさを感じていました。それと同時に、もうこのマシンを運転する機会がないこと、もっと言えば整備する機会すらないこと。それを実感し、申し訳なさと混じり合って感情がぐちゃぐちゃになっていました。時間は飛びますが、写真撮影のために車両を並べていた時、一人でマシンの中にいた時はその感情がこみあげてきて泣きそうでした。

その後はあまり記憶がありません。ただ、ドライバースーツを脱ぎたくなかったことだけは覚えています。これを脱いでしまうと、ドライバーとしての最後の何かも失ってしまい、本当に全てが終わってしまう気がして。表彰式も、アクセラレーション日本記録の快挙を喜んで見守れるようなメンタルではなく、一人後ろで眺めていました。千葉大に帰っても、最後の解散のあいさつの前に、翌日以降の研修に備えるという理由で一人逃げるように帰ってしまいました。

今は、やっと少し時間をとることができ、気持ちを整理し始めることができています。今、この日記を書く時間も数時間にわたっています。

メンバーのみんなへ。こんな私を受け入れてくれて、本当にありがとうございました。歴代最高のマシンには全くふさわしくないドライバーでしたが、一人前のように扱ってくれて、とても楽しかったです。活動自体も、自分の全力をささげることができるとても楽しい活動でした。これで引退とは言え、まだ半年は大学にいるので、たまにお邪魔させてください。

最後に。最近、ガレージの空気が良くなく、チームが分散してしまうような雰囲気を感じることが多いです。ただ、千葉大の長所は人間だと思うので、マシンばかり見ずにそこにも気を配りつつ、これからも躍進を続けてくれればと思います。

以上。

いざCF26

お久しぶりです石田です。

先日大会が終わりましたね。今年は運営代と言うこともあり、とても思い入れのある大会でした。

最も印象に残ったのはやはりエンデュランスです。想定もしていなかった豪雨の中でのタイヤ交換は今まで体験したことがない非常に切迫した中でのものとなりましたが、これぞ学Fの大会という感じで楽しかったです。

もうちょっといけたよなと思うところはありましたが、この気持ちは来年晴らしたいです。

さて、今週からCF26に突入しました。今のところワクワクより不安の方が大きいです。CF25までは運営代とはいえ、先輩方におんぶにだっこで大会まで行き着けたので、そんな先輩方が全員居なくなってしまったと思うと心が落ち着きません。とはいえ、嘆いていても何も進まないので猪突猛進するのみです。

現在は、去年と今年のレギュレーションを読み比べながらか変更点に悶え苦しんでいます。無事に大会で出走できることを祈っていてください。

学生

こんばんは竹内です

突然ですが大学生ってすごいですね。この活動を始めてずっと思っていたのですが、この間大会に行ってよりこの気持ちが強くなりました。自らの手であんなに大きなものを作るだけでも大変なのにそれにミスなくびっしりと物を配置し、すごいスピードで動くようにし、そのうえでコンマ何秒を争っている。今の自分にはすごい以外の言葉がありません。

こういった技術的なことだけではなく人としても学ぶことも多いですね。日常でいろいろ言いあったりしている裏では助け合おうと頑張ってる。どんな時でも必ず楽しさから来る笑顔が表れる。この活動の一番の原動力であり一番大切なことであり一番の魅力を教えてくれた気がしました。

今年の車に自分がかかわった部分はほとんどありませんが大会での千葉大の走りに夢中になっている自分がいました。アクセラ日本一、エンデュランスのファイナル6、1年目の自分には貴重な経験になりました。先輩方ありがとう。次は自分が”すごい”大学生になれるよう頑張ります。

青本

物資科学コースの熊田です。

前日大会があったのですが、その会場で自動車技術会が発行している自動車開発についての本を買いました。一般的な車の運動制御について書かれている青本だけで良かったのですが、個人的な興味でEVの方も買いました。青本を少し読んでみたのですが、序盤にあった慣性モーメントとトルクの関係は前期の力学の授業で扱った分野なので、実際に勉強したことが工学で使われているのを実感して、後期のモチベーションが上がっています。挿絵も多く見やすいですがまだ理解できない箇所が多いため、スラスラ読める未来の自分に期待したいです。

大会が終わって人員が多く抜けた今、チームの一員として求められるものが変わってくるので、できるだけガレージに行ってスキルの修練に努めたいと思います。

感謝

瀬戸川です。最後の大会はアクセラICV日本記録更新、ファイナル6、非公式ベストラップ賞3位と速さが本物であることを証明できとても嬉しいです。これも一重に保護者の皆様のサポート、スポンサー様の支援、OBOGの皆様、関係者の皆様のご支援のおかけです。本当にありがとうございました。

最後に、OBとして記憶が新しい内に自分の学F人生を振り返ってみたいと思います。

これはよく話す鉄板ネタなのですが、僕が学Fを始めたきっかけはかなりレアなんです(鉄板とかけてるわけではないです…)。コロナ禍の緊急事態宣言と入学のタイミングが重なり、大学に通わず1年を過ごしました。家に引きこもり、ゲームに没頭する日々でした。2年生になると半年くらいは大学に通うので精一杯でした。新しい友人もできましたが友達とどうやってしゃべってたっけ?なレベルに人と話してませんでしたし、そうなるのも当然です。半年くらい経って10月になり、何かサークルとかやってみたいなーと思い始めていた頃、とある英語の授業で堀田と出会いました。実は、2年後期に英語の授業を取るのは少し変な選択なんです。その授業も履修登録していたのは3人のみで、異様な雰囲気の中授業に参加していました。内容は工学的な英語だったので、当然工具とか部品とか出てくるのですが、堀田はもう入部しているので、当然その工具の名前を全て知っているわけです。ただ、当時引きこもりニートだった僕にはそれに驚愕し、何でそんなに知っているのか聞きました。その日始めてフォーミュラの存在を知り、知った瞬間に入部を決意しました。今までの人生でこれだけ即断即決したのは後にも先にもありません。そして、この決断が僕の人生を180度、いやねじれの位置に飛ばしてくれたんじゃないかというくらいに変えてくれました。

入部当時は2021年公式記録会の直前だったため、2022年度活動から参加することになりました。自分を含め同期6人でスタートし、右も左もわからない僕はとりあえず誰かいる日にガレージに行きました。今までゲームをやっていた時間を全てフォーミュラに投下しました。最初はエアロ班として活動を始めましたが、2022年5月にフレーム担当の子が辞めてしまい、僕が引き受けることになりました。人が少なくノウハウもない中何とか製作を進めていきました。7月頃には当時修士2年だったOBの方にも助けに来てもらいました。シェイクダウン3日前にOBの方から「瀬戸川、お前は今日からブレーキ担当だ!」と言われいきなりエア抜きが始まるくらいにはみんな限界でした。それでも何とかレースベースで走れる状態にし、5年振りのエンデュランス完走を含め総合4位を獲得しました。

2023年も相変わらず人も少なくノウハウも乏しい中でスタートしました。そのため、とにかく早くシェイクダウンしてマイレージ稼いで速い車を作ろうと決めました。このタイミングで始めてCADをインストールし、フレーム設計、リアのブレーキキャリパー変更に伴いアップライトを設計しました。この年はチームマネジメントに難航し、自分たちが知識・経験不足なこともあり後輩育成ができませんでした。結果的にオートクロス3位を獲得しチーム初のファイナル6での出走となりましたが、自分たちの力不足を実感しました。

2024年はASEコースへの対応として何をしたらいいか試行錯誤を繰り返しました。当時の1年生を次のメイン代として鍛えるために一緒に製作をし、世代交代に向けて準備の1年でした。実際大会ではアジャストできず、悔しい結果となりました。

そして今年、リベンジするため基本に徹しました。引き継ぎが上手くいっていなかったサスを担当し、ASEコースへの対応を図りました。パワトレの最適化もはまり、個人としては優秀の美を飾れたのかなと思っています。

すごい長くなってしまいましたが、我武者羅に挑戦した4年間でした。FM関東にも参加し、同期が誰もいないから初年度から委員長をやってしまうとか無茶もしてきました。それでもこの1年で体制を大きく変え、関東勢を速くするという目的は達成できたかなと思います。現役のみんなは1つのことを極めるもよし、いろんなことに挑戦するもよし、手を動かしてやってみてください。

僕の体は学Fでできています。スポンサー様の企業でバイトを始め、そこの管理物件に引っ越して一人暮らしをしています。学Fに染まりきってますね笑。このご恩は必ず返します。4年間ありがとう。

11,000

騒音通りました。11,000って何回パソコンで打ったでしょうか。ありがとうチンメー、堀田さん。

大会近況報告

瀬戸川です。更新忘れていましたので、大会の状況を報告します。事前の車検対策が功を奏し、昨日の機械車検はほぼほぼ1発通過といった状態で合格できました。その流れでデザイン審査、コスト審査を行い、最後にチルトテストまで通過できました。本日3日目の朝は騒音試験、ブレーキテストとスムーズに通過し、現在はドライバーごとにプラクティスを行っています。

今年はSESも上位で合格したことで車検1巡目を勝ち取ったことが非常に大きかったと思います。来年以降も続けていけるよう、後輩には頑張ってほしいです。

午後は明日からの動的種目に向けて準備をしていきます。

近況伊藤回 〜いざ大会へ〜

ついに母親にこの日記の存在がバレた伊藤です。これまではなんとか耐えてましたが、あまり下手なことは言えなくなりました。

そんなことはどうでもよくて、いよいよ大会ですよ。去年シェイクダウンから大会まであっという間だったなぁと思ってましたが、今年は去年よりもあっという間でした。つい最近雨の中シェイクダウンしていたように思います。

この1年間伊藤は何を燃料にしてやってきたかというと、忘れもしない昨年大会の9/12オートクロスでのスピン、あの悔しさを燃やしてここまで来ました。チーム的には9/14のエンデュランスリタイヤの無念を晴らそうとしてこれまで頑張って来ましたが、個人的にはオートクロススピンの方が悔しさでは上を行っていました。

夕方に差し掛かろうかという空の下、多くの観客、チームに見られながら、その中でチームのみんながいるのに気づき、エンジンを吹かし、グリーンフラッグが振り上げられ、ホイールスピンさせてオートクロスの2周目がスタートしました。シケインまではかなり乗れていてこれはイケるっそう思ったスプーンでリヤがスライド、そのままスピンしました。それまで試走会では1度もスピンしたことがなかったので、何が起きたのかわかりませんでした。せめて来年のためにデータを残そうと残りコーナーを全力で攻めたものの走り終わってメンバーにドンマイと言われた時、あぁ終わったと、自分はやってしまったと理解しました。とにかくせめて最終日の枠であってくれと祈るだけで、それ以外に何も考えられませんでした。幸いバンカーで出したタイムのおかげで最終日の枠ではありましたが、オートクロスが終わった後は車両整備もせず隅っこのベンチで放心してました。あの時寄り添ってくれた黒澤くんありがとう。だいぶ気まずかったと思います。しばらくしょげてましたが、動的に出られないチームもあるんだと、その悔しさに比べたらと思い、なんとか戻ることができました。

大会後、真面目に何度かスタート前の光景が夢に出て来ました。それぐらいショックだったんだと思います。それから何回もオートクロス2周目のオンボードを見ました。画面に穴が開くぐらい見ました。その度にあのスプーンでのスピンの直前で10秒スキップしてました。何度もタラレバを考えました。その度に悔しさを思い出しました。

でもこの悔しさのおかげでこの1年乗り切れたのかなと思います。来年こそはファイナル6に行ってやるんだと、そういう気持ちで製作期もシェイクダウンも夏の試走会も乗り越えて来ました。

ここまで本当にチームのみんなに助けられてきました。本当に恵まれてるなと思います。いろいろワガママ言ってきたし迷惑かけたけど、それでも一緒頑張ってくれました。

おかげで今年は過去最高のマシンができたと心から言えます。これまでの試走会でも、今年の千葉は速いなぁと思わせることができていると思ってます。今年はどこも速くて大変だと思ってますが、ファイナル6は十分狙える位置にいます。ですが伊藤はさらに上もいけるんじゃ無いかな〜と思ってます。このままの予定ではオートクロスは午後の枠担当になるので、路面ができてきた中で最高のタイムを出せるよう命かける勢いで全力を尽くします。

それでは、大会で会いましょう。